Leica M10-P “Reporter”
気温も上がってきて、街には色とりどりの花が咲き乱れ、徐々に天候も安定してくるのだろうと思っていたら、どうやら明日から、また雨らしい。
いい季節、いい天気ばかりではないということだろう。
そんな季節のうつろいの中、プライベートでは自分を取り巻く環境は大荒れの様相を呈している。
なんのことかは、ここには詳しくは書かないけれど、自分的には予想通り、親しい人たちに予告していた通りの展開。
もちろん周りの大方の予想も同じだと思っていたのだけれど、どうやら違ったようだ。
もちろん一筋縄ではいかないことは予想できたけれど、ここまで往生際の悪い連中がいるというね…(笑)
ここ数日この問題に触れているのだけれど、今回のことは色々な意味で見方が違うだけで、そのどちらにも責任の一端はあるのだけれど、結局誰も責任を取らず、そして、一方的に強者と弱者、言い換えれば勝者と敗者が決められてしまう構図に、みんな納得がいっていないということなのだろう。
果たして自分はどうなのか?
若い頃から何事も、どんな時にも、自分自身の考えで、ある程度先の未来を予想しながら生きてきたつもりだ。
もちろん、その時、その場所での判断を自分自身が下した結果が今に至っているわけだから、たとえそれで悪い結果を招いたとしても、それは自分の判断が結果的にだが悪かったのだと納得している。
若いころから、関わり合いを持つ他人や所属する組織の不満ばかりをいっている奴らが嫌いだった。
いつもそんな奴らに対して「結局そんな組織にしか属せなかった自分自身が悪いんじゃないの!?」とか、「その程度の組織にしか選んでもらえなかった自分自身の能力の無さを嘆くべきなんじゃないの?」と辛辣な思いを抱いていた。
そもそも、最終的にその場所を選んだのは自分自身なのではないのだろうか。
「お前らの判断が、どこかで間違っていたんだよ」
だから今は、そんな言葉しか思い浮かばない。