Leica M10-P “Reporter”
なんのことだろうと思われるだろう。
影に「〇〇色」なんてないだろう…と。
そう、影は影、黒いものと相場が決まっている。
でもその長さや輪郭の強弱で、なんとなくだけれど時間帯や季節を表現できるのではないか、そして、その時々で見る側に「〇〇色」と感じてもらえることができるのではないかと、写真を始めた頃から考えている。
もちろん、これは撮る側の勝手な“思い込み”の部分に起因するところが多いから、見る側には何も伝わっていない可能性の方が高いと思う。
でも、影に限らず、そうした撮る側の思いを写真で伝えられてこそ、一人前の“写真家”とか“プロフェッショナルフォトグラファー”と自ら名乗っていいし、周りからもそう呼ばれる存在になれるのではないだろうか。
SNSで自身の作品(と称したもの)をいつでも、どこでも、好きなときに自由に発信できるようになり、さらに比較的安価に“自費”出版で写真集などが発表できるようになった昨今、自身のプロフィール(特に受賞歴)さえも自分の都合の良いように“盛って”、作品(と称したもの)には長々とよくわからない撮影時のエピソードや、苦労話まで添えてYoutubeなどで宣伝している残念な“自称”写真家とか“自称”プロフェッショナルフォトグラファーを見かける。
「あなたの写真は、そこまでことこまかに自身の口で説明しないと何も伝わらないものなのですか?」と、機会があれば聞いてみたい気もする(笑)
一流のプロが撮影した写真なんて、見る側にも何かを考えさせる要素が必ず含まれているはずで、もしかしたら世間の評価が、撮った側の思いとは裏腹な結果になることだってあるはずだ。
というか、見る側に何かを考えさせるような写真こそが、“一流”の仕事だったり作品だったりするのではないだろうか。
これらの“自称”の方たちの作品(と称したもの)には、自身の想いを正確に伝えたいのなら長々とした説明なんかよりも、そもそも写真の内容を見直した方がいいのではないかと考えさせられるものが、残念ながらほとんどだ(笑)
しつこいようだが、「あなたの写真は、そこまでことこまかに自身の口で説明しないと何も伝わらないものなのですね」と、誰か言ってあげればいいのにと、老婆心ながら思う…。
まあ、こうした輩に限ってなにか反対意見や、自分の意にそぐわないコメントをもらった時点で「誹謗中傷だ!」とか「即ブロックだ!」と騒ぎ出すのだけれどね(笑)
自分自身は、どんなに食うのに困っても、こんなマネだけはしたくないなと考えている。