存在価値が変わっても生き続けるもの

存在価値が変わっても生き続けるもの

Leica M10-P “Reporter”

 

自宅を出てぶらぶら歩いていると、普段の散歩コースから外れていった先に車一台やっと通れるくらいの小さな道がある。

その道は並行して走る大きな道路と道路をショートカットする場所に位置しているせいか、それなりに車が通った後と見られる轍ができていた。

そう、そこは舗装された道路ではなく、土が剥き出しで車に踏まれていない部分には草が生えているような道で、周りには畑が広がる“農道”と呼ぶのにふさわしいような小さく細い道だった。

 

作業小屋

 

その“農道”を歩いていると、バタバタ、バタバタ、と何かがはためく音が聞こえた。

そこには強い風に抗いながら勢いよく飛ぶ鳥?のようなものが宙を舞っていた。

どうやらそれは鳥の形を模した凧のようだった。

そういえばこんな形の洋凧が子供の頃に流行ったよな…。今でもどこかで販売されているのだろう。

 

案山子の代わりに飛ぶ鳥

 

それが販売され始めた当時、それまでの凧では無理なとんでもない高さ、とんでもない距離を飛ばせることで爆発的な人気となって一大ブームを巻き起こしたのを思い出した。

もちろんその当時のものとは同じではないだろうし、もしかしたら畑などで使うための専用品なのかもしれないけれど、今は畑にやってくる害鳥、害獣から作物を守るための案山子がわりに畑に繋がれている姿が、どこかもの悲しい。

でも、こうして生きる形を変えてでも活躍できる場所が与えられるのは、ある意味しあわせなのかもしれないね…。

 

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