Leica M10-P “Reporter”
いろいろなものが時代とともに古臭くなっていくのは世の常だ。
でも、そんな古臭くなってしまったものの中にも、優れた性能、優れたデザインなどで人々の心を惹きつけるものも多い。
カメラや腕時計、クルマなんかもそうだろう。
発売された時から長きにわたりずっと愛されるものもあれば、発売当時は、それほど見向きもされなかっただろうに、なぜか時代が過ぎて見直されるものもある。
そのものの本質が変わるわけはないのだから、受け取る側の人々の感性が変わってゆくのか、時代とともに変わった生活スタイルなどでニーズにマッチするのか、理由はよくわからないけれど…。
もしかしたら、人間の考え方、思考のあり方も同じかもしれない。
若い頃に感じたことをいつまでも正しいと信じている人がいる。
確かに死ぬまでずっと正しいと思えることもあれば、実は違っていたのではないかと歳をとってから気付かされることもあるように思う。
自分自身は、何か気づきがあれば、その時々で考え方、生き方を見直してもいいのではないかと考えている。
錆びたミラー
どれが正しいのかなんて人それぞれだから、他人が口を挟むことではないのだけれど、ここ最近、自分の周りに、このあたりのことを何も考えていないのではないだろうかと思わざるをえない人物が、大変多くいることに驚いた。
そういう人たちのほぼ全員が「俺の常識」とか「俺の信念」みたいなことを口走る。
それらのほとんどが自分と同じ世代の人たちだったので、軽くショックを受けている。
もしかしたら、こういう人たちが世間では“老害”と呼ばれているのかもしれない。
そう思うと、少し怖くなった。
“常識”はどうだかわからないけれど、“信念”はその時々で変わっていたっていいんじゃないの!?
軸がブレブレで、そもそも“信念”もへったくれもないようなのはマズイだろうけど(笑)
他人から嫌われたくないとか、逆に好かれようとか、大事にされようとか、そんな思いは一切ない。
だから、必要以上に周りに気を使って生きていこうとは思わないけれど、いくつになっても、いつまで経っても、常にそのおかしな“常識”や、安っぽい“信念”にだけは囚われずに生きていきたい。