Nikon Zfc
写真の解説をするのに、やたらと小難しい言葉を使いたがる方がいる。
そもそも、「そんなにあれこれと説明しなければ…」とか、「そんなに格好のいい言葉を並べ立てなければ…」、「あなたの写真の意図するところが伝わらないのですか?」と聞いてみたい気持ちになる。
写真なんて見たものを見たままに、感じたものを感じたままに写し撮ればいいだけなのではないのだろうか…。
例えばこんな写真を見ても、そういった人たちは、やれ「段違いに並んだ排気口の“造形美”が…」とか、「アルミ製の排気口に反射した光が“織りなす”…」とか、後から思いついた言葉を並べて、いかに自分が撮影する際に頭を使い創意工夫をしているというアピールを忘れないのだろう。
そういうのに限って写真界ではなんの実績もないのに「フォトアーティスト」だったり、「フォトジャーナリスト」だったりを恥ずかしげもなく名乗っておられる(笑)
では、自分がもし説明を求められたら、なんと説明するだろうか…。
「たまたま通りがかった場所に黄色い壁があって、その色に惹かれてシャッターを押しました」
きっと、そんなところだろう。
もちろん撮影時点では、その色の壁を生かすためにはどう切り取ればいいのか、排気口の影がきれいに伸びているのがよくわかるのはどこか、反射した光の模様が一番きれいに見えるのはどこか、その程度のことは考えて何回かシャッターを切っているわけだけれど、そんなことをいちいち事細かに説明する必要はないだろう。
観る方だって、撮った側の思いなど関係なく、観たまま、感じたまま、でいいのではないだろうか。
「観る方が勝手に感じてください」
それで、いいんじゃないの?