もう一人の自分

もう一人の自分

Leica M10-P “Reporter”

 

ベランダに干したシャツの影が、夕日に照らされて網戸の上でぼんやりと揺れていた。

そこにもう一人、誰かがいるようにも見えた。

小難しいことを書くつもりはない。

ただその日撮った写真を一枚と、思いついたことを書き残しておこうという考えで、このブログを始めた。

だから、その日の気分で内容はもちろんだが、書き方も違ってくる。

ある人から「日によって、まったく別人が書いたように思える時がある」と言われた。

自分的にはすごい褒め言葉だと受け取っている。

昔、ある小説家の先生が評論家の意見に反論する形で「小説家が、行ったことのない場所のことを書いてはいけないなんて、おかしい。ドキュメンタリーの取材ならともかく、小説家は、行ったことがなくても、さもそこに行って、見て、聞いたことがあるように読者に読んでもらえれば、それは小説家としての力量だろう」と、いうようなことをエッセイか何かに書いていたのを読んだことがある。

「ドキュメンタリーの取材ならともかく」と、前置きをした上で、小説は空想の産物だから、そこに本当に行った経験なんて必要のないことだ、というようなニュアンスだったと記憶している。

確かにそうだと思った。

これと同じような意味合いで、毎日、文章を書き続けていながら、その出来上がってくる文章が「まったく違う人が書いたようだ」と評されるのも、書き手としての色んなバリエーションをもっている証拠だと自分では、いい意味に捉えている。

もちろんこれは、書き方に一貫性がないとか、主義主張が感じられないと言われることなのかもしれないけれど、そんなことはどうだっていい。

だって自分はプロの書き手ではないからね(笑)

でも、もし本当に自分とは別の“もう一人の自分”が、この世界のどこかにいたとしたら、文章だけでなく、写真もまったく違う手法や撮り方で作品を生み出しているのかもしれないね…。

 

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