写真を撮りに“行く”ということ

写真を撮りに“行く”ということ

Leica M10-P “Reporter”

 

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が発令されている影響だったり、それがなくても自主的に不要不急の外出や遠出を自粛する人たちがいらっしゃる。

プライベートでは自分自身も、そういうことは気をつけているし、業務を除いて不要不急の遠出はしないようにしている。

 

 

こうした心がけ自体は決して悪いことではないし、どちらかといえば褒められることとまではいかなくても、まあ普通のことでしょ!? と考えている。

そんな中、「コロナのせいで写真を撮りに“行け”ない」と嘆いている方を見かけることがある。

 

壁に落ちる影

 

そもそも「写真を撮りに“行く”」ということ自体が、自分にはちょっと理解できない表現だ。

「写真を撮りに“行く”」とか「写真を撮りに“行け”ない」という方たちは、例えば神社仏閣や名所旧跡と呼ばれるような観光地や、ある特定の場所の風景写真が撮りたいとか、またはインスタ映えするような場所でエモい写真を撮りたいというのならば、もちろんその場を訪れなければ物理的に無理なわけだから、こうした言い回しをして、それを理由に写真が撮れないのは仕方ないよね。

実際にその場所に“行け”ないわけだから…。

 

知らない何かの実

 

ただ、もしこのような理由ならば「写真を撮りに“行く”」「写真を撮りに“行け”ない」の前に「〇〇の写真…」となるはず。

その人たちのSNSのタイムラインを遡って見てみると、確かに、こうした理由なのだろうなと、納得できるような写真を掲載している場合もあるのだけれど、どこをどう見ても「このような写真だったら、あなた特にどこか行かなくても撮れるんじゃないの?」とか、「これ毎日の通勤経路で撮ってるんじゃないんですか?」と、いうようなものの方が多くて、ちょっと理解に苦しむんだよね(笑)

 

郵便配達員

 

そもそも、写真を撮るという行為は、どこかに行かなければ出来ないことなのかなぁ…。

写真を撮るという行為が、そんなに特別なことなのかなぁ…と。

もちろん写真だったりカメラというものに対する向き合い方、付き合い方は人それぞれだから、そんな人たちを糾弾するつもりもなければ、何かの方法でマウントを取るつもりもないのだけれど、ちょっと自分自身には「写真を撮りに“行く”」という表現自体が思いもつかない言い回し。

 

 

こうした人たちは結局、例えば「今日は天気が悪いから」とか「今日は気分が乗らないから」とかいう、探せばどこにでも落ちてそうな“言い訳”とは言わないけれど、まあその程度のどうでもいい、自分が写真を撮らない理由、撮っていない理由をいつも何か探しているだけなのじゃないのかなぁ…なんて、思うんだよね。

 

夏を待つ樹木

 

だって、この人たち、どうみても普段から毎日写真を撮っているようには見えないし、中には「今日は荷物が多いからカメラ持ってこなかった」ていう書き込みなんかもあるんだもん(笑)

写真を撮るということがカッコイイとか、カメラを持ち歩いたり、写真撮影が趣味ということが、ファッションの一部とでも考えているのかねぇ…。

さぁて、他人のことはおいといて、今日もカメラぶら下げて近所をひと回りしてくるかぁ…。

 

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