Leica SL2
全国的に緊急事態宣言が解除されてから初となる京都を歩いた。
有名な神社仏閣の周りに人っ子一人見当たらない状況だった京都の街並みが、以前の賑わいを取り戻そうとしていた。
個人的にはここ数ヶ月、暦には全く関係のない暮らしをしているせいもあってか、この日が祝日であること、人によっては前日も休日を取れば4連休の最終日に当たるということに気付かぬまま訪れたのだが、さすがに日本を代表する観光地という趣を存分に発揮しているかのような盛況ぶりだ。
ちょうど紅葉のシーズンとあって、神社仏閣の境内やその周辺に植えられた木々は、見事なまでの赤や黄色に色づき、そんな風景を一眼見ようと詰めかけた観光客で行く先々はごった返していた。
こうなると大体どこでも起きる些細ないざこざが、この日もあちらこちらで繰り広げられていた。
写真愛好家のグループなのだろうか、人通りの多い場所に長々と三脚を据えていたり、ほとんどの人々が「ここがいいな」と思うであろう所謂フォトスポットを占領していたり、人が既にカメラを構えている前に割り込んできたりとやりたい放題。
ちゃんとした一眼レフやミラーレス一眼ではなく、たとえスマートフォンでも他人が先に構えていれば、その前に入らないのが礼儀というものだろう。
もちろんその反対で、何時間も前から待ち続けたシャッターチャンスを、たまたまそのタイミングで現れた観光客が横からスマホを突っ込んできて台無しにしてしまうこともあるのかもしれないけれど、この日は、どうみてもそれなりのカメラを持っている人たちの行状の方が世間的に見れば悪いような気がした。
また、全国的に有名な観光スポットの近隣住民からは“インスタ蠅”と揶揄されるような、インスタ映え狙いの若い観光客の姿も目立った。
彼らもまた、きっとみんなが撮りたいと思うであろう場所を占領して、何度も何度もスマホを渡して撮ってもらい、それを確認し、また撮影するを延々と繰り返している。
後ろで待つ人がいようがお構いなしだ。
普通に歩き回って、たまたま見つけた場所で一緒に訪れた家族や友人同士で記念撮影をしたいだけの人たちにとってみれば、写真愛好家と思しきグループと一緒で迷惑な存在であることに変わりはないだろう。
まあ、どちらにしたって、こうして賑わいを取り戻すことが京都という観光地が街としても経済的にも、本来の輝きを取り戻すことに他ならないわけだが、一部とはいえ規則やマナーを守れない人々が増えれば、当然何かしらの規制が増える可能性があるのは歴史が証明している。
そこにある風景は誰のものでもない。
たまたまそこを訪れた人々が、その風景の美しさや、もしかしたら奇抜さだったりに心奪われて感動した結果、記憶とともに記録しておくための行為として「写真撮影」というものがあるだけで、それを誰かが自分たちだけのもの、自分たちだけのため、と勘違いしてしまうのはよろしくないだろう。
これからも、自分たちが感動を覚えた場所で自由に写真撮影を楽しむためにも、他ならぬ自分たち自身のために気をつけるべきだと、あらためて考えさせられる一日だった。