Leica SL2
鳴門の渦潮を見るために遊覧船に乗った。
「観潮船」と呼ぶらしい。
確かに潮を見に行くための船なので、その名に間違いはないのだろうけど、乗船前にどうもしっくりこない感じがしていた。
案の定、瀬戸内海と太平洋からの潮流が交わる付近に着いたときには、船が横にスライドするような挙動をみせ、潮の流れの速さや大きさといったものを感じ取ることはできたが、きれいに渦巻く波を目で捉えることはできなかった。
渦の発生やその規模は、満潮や干潮といった時間帯も関係するようだけれど、やはり海上スレスレの船の高さから見るよりも、頭上にかかる橋の中に設けられた展望台から見下ろす方が、渦巻きの状態をきれいに見られたのだろう…。
もちろん、船上からでないと前述した潮の流れを体感することはできなかったわけで、船に乗ったこと自体が失敗だったとは思っていない。
そういう意味で、どちらかといえば「観潮船」というよりは「感潮船」と呼んだ方が、しっくりくるのかもしれない。
何事もそうだが、間近で見たものが正解というわけではなく、ただ遠くから眺めた方がいい場合もあるだろう。
逆に遠くから見ただけでは伝わらないものが、間近で手を触れてみてこそわかる場合だってあるだろう。
何かを伝える手段、何かを学ぶ手段を、それこそ何か一つに限定する必要はないわけだ。
いろんな場所、いろんな角度、いろんな方面からのいろんな意見を取り入れて、自分自身が判断した結果ならば、それがたとえ間違っていたとしても納得がいくだろう。
ただ、何も自分自身では考えず、他人の意見や噂話だけを盲目的に信じていたのでは、きっと有益な結果には結びつかないのではないだろうか。
真贋定かでない多種多様な情報が渦巻く現代を表現するとしたら、こんな感じなのかな…と、波に揺さぶられる船の上で、激しくぶつかり合う潮流を見つめていた。